スターバックス手話カフェ東小金井
小金井市内にはスタバが2店舗あります。
その内の一つの東小金井店が、今日一日(2019/7/10)手話カフェになりました。
スターバックスお客様対応のスタッフは全員ろう者か難聴者。(バックには聞こえるスタッフもいました。)
オーダーはメニューを指さしするか手話で行います。今日、手話カフェになることは数日前からろう者や手話関係者の中で拡散されていて、私が午前中に行った時にはそういうお客さんで溢れていました。
もちろん知らずに来店された一般のお客さんもいたでしょうが、特に何か問題が起こるようなこともなく。スタッフはこの店で働くことには慣れていないのでしょう、いつもいる店で働くようにスムーズにはいかない面もあるようですが、みなさん一生懸命頑張っていました。
来店するお客さんの行列は途絶えることがなく、多少パニクッた感じのスタッフもいるようでしたが、慣れない店ですから仕方ないですかね。お客さんも並ぶのを楽しんでいる感じでした。
私の友人のろうの強者は、久しぶりに会う友人が何人も来るので、自分は朝8時から夜8時まで店にいると言っていました。私は30分ほどで席を譲り退散しましたが、その強者は、いったい何杯のコーヒーを飲むのでしょうか。
小登連 福祉講座2019
小登連?…何??
通訳小登連の正式名称は「小金井市登録手話通訳者連絡会」。小金井市で活動している手話通訳者の団体です。
福祉講座は小登連が主催して毎年開催している講演会で、今年で26回目なので、25年前からやっていることになります。
目的は、講演会などの行事には手話通訳が付くのが当たり前と、一般市民の方々に認識していただくためのものです。
現在では、手話通訳をいろいろな場所で見ることも多いですが、20年以上前は、手話通訳というものに馴染みが薄い時代で、手話通訳が付くのは特別な時にのみでした。
講演個人的な経験でも、行政が主催する行事でタレントが話す時に、開始前にタレント本人から「舞台の上で通訳するな」と言われたり、一般市民が参加する大会の開会式で、式を進行する担当者から「見えない場所でやれ」と、そんなことを言われたことがあります。
どちらも、主催する行政側から依頼されて通訳が付いているので、行政担当者から説明してもらい通常通りの通訳を行いましたが、いずれも20年以上前の出来事で、今となっては懐かしいような気もします。
話を福祉講座に戻しますが、今年は6月15日(土)、14時~16時での開催です。
お招きする講師は『玉利 かおる氏』テーマは『ユニバーサルマナーとおもてなしの心』会場は、小金井市民会館萌え木ホール。
玉利さんは、実は私の高校時代の同級生で、大学までは熊本で過ごしていましたが、卒業後に上京してアナウンサーに。
在学中も、時々モデルみたいな仕事をされていました。
上京後、数年間は全国放送されているテレビで、生番組での姿を見ることが出来ました。
その後、大学や専門学校での講師としての活動や、マナー様々な講演活動などをされています。
当日は手話通訳も付きますが、手話が分からない難聴者対象に文字通訳も付きます。
どなたでも自由に参加できますので、是非ご来場ください。
お待ちしております。
福祉口座のチラシはこちら
小金井手話広場4月
片桐氏今月の手話広場は第3金曜日ではなく、第4金曜日の26日に開催します。
お招きする講師は昨年7月に続き、登場2回目の片桐幸一氏です。
片桐さんは旅行会社のHISにお勤めで、そこで聞こえないお客様の受付、聴覚障害者向けの旅行の企画や添乗員として同行するようなお仕事をされています。
ホテル片桐さんに関しては、「手話 HIS」で検索してみてください。
(「手話 HIS」のホームページはこちら)
日時は4月26日、19:00~21:00。場所は小金井宮地楽器ホール1FのNスペース。(JR武蔵小金井駅南口駅前)
どなたでも自由に参加出来ます。
参加費は無料ですので、是非ご参加ください。
『玲和』の手話
190402玲和2019年4月30日で平成が終わり、5月1日より元号が新しくなります。
その新しい元号が『玲和』になるということが、4月1日に政府より発表されました。
全日本ろうあ連盟ではそれを受けて、4月1日の夕方から京都にある全国手話研修センターに委員が集まり、どのように手話表現するかということについて論議、検討の結果、図のように確定しました。
これは、花のつぼみがゆるやかに開き、やがて花びらが環(わ)となった指先からふくよかな薫りをはなち、和みゆくさまを表しているそうです
まだ、しっくりこないのですが、(作られたばかりなので当然ですね。)時間がたてば、良い手話に決めてもらえた…となるのではないでしょうか。
平成は、穏やかで平和なイメージを表わしていて、漢字から見ても多くの人が思いつきそうな手話ですが、玲和はどのようにして思いついたのか知りたいという人が多いのではないでしょうか。
ちなみに昭和は高い襟(カラー)を、大正は大正天皇の口髭を、明治は明治天皇の顎髭を表わしています。
気象庁緊急会見に手話通訳
気象庁は2019年3月25日、気象庁が行う緊急会見に手話通訳を付けると発表しました。
緊急会見は、震度5弱以上の地震や津波、火山の噴火、台風、大雨などが発生または予想された時に行われます。
当面は9時~18時の日中の会見時のみになりますが、6月くらいからは24時間体制で行えるよう、動いているようです。
現在、首相や官房長官の会見に手話通訳が付いているのですが、登壇時にチラッとテレビに映るだけです。
後でYouTubeなどで見ることは出来ますが、生で手話通訳者が映っているのを見たことがありません。
台風通訳は、付かないよりは付いたほうが良いのですが、「ちゃんと付けてます」という言い訳か、パフォーマンスにしか思えない状況です。(もちろん、手話通訳者が悪いわけではありません。)
気象庁の緊急会見では、生で通訳者が映らないと意味がありませんので、必ずそうなるように期待しています。
小金井手話広場2月
阿波踊り今月の小金井手話広場は、15日に開催します。
お招きする講師は菊永ふみ氏です。
菊永さんは東日本では唯一の、聴覚障害児入所施設の金町学園で、児童指導員をされています。
そのお仕事をされる傍ら、一般社団法人異言語Lab.の代表も務められており、そちらでは、ろう者・難聴者・聴者が一緒になって金町学園の仲間たち互いに助け合いながら謎を解いていく、『異言語脱出ゲーム』を考案し、それを開催しています。
昨年の秋には吉本興業とのコラボで、『異言語脱出ゲーム』は関西にも進出しました。
また2010年に公開された映画『アイコンタクト』では中村和彦監督の下で助監督も務められました。
アイコンタクトはご存知の方も多いでしょうが、ろう者女子サッカー日本代表チームが2009年の台北デフリンピックを目指した時のドキュメンタリー映画で、当時は“もう一つのなでしこジャパン”として話題になりました。
そんな様々な活動をされている菊永さんの講演会です。
是非多くの方の参加をお待ちしています。
日 時:2019年2月15日(金) 19:00 ~ 21:00
場 所:小金井宮地楽器ホール1F マルチパーパススペース
地図をクリックすると、大きく見やすくなります。
遥かなる甲子園
『遥かなる甲子園』ご存知でしょうか?
本が出版され、漫画にもなり、テレビドラマ、映画でも上映されました。
沖縄のろう学校野球部が甲子園を目指すという実話を元にした物語です。
先日小金井手話サークルで開いた講演会で、講師としてお招きした女性は、『遥かなる甲子園』のモデルとなった北城ろう学校で野球部のマネージャーをやっていた方でした。
ご主人は同級生で、野球部の選手だったそうです。
1964年、アメリカで大流行した風疹が、アメリカ統治下の沖縄でも流行し、当時妊娠していた女性も感染して、1965年に多くの難聴児が誕生しました。
彼らのほとんどは小学生時代には普通小学校の難聴学級に通っていましたが、その教育方法ではいろいろ難しい面が出て、また当時の沖縄ろう学校では難聴児全員を受け入れることは難しく、1978年に開設されたのが北城ろう学校。
本校と2つの分校で合わせて200人近い生徒数。先輩も後輩もいない、一学年だけ。1981年、彼らが高等部になった時に、3人の生徒が野球部を作ろうと言い出したそうです。
野球経験者は1人だけ。
それから部員を集め16人になり、マネージャーも決まりましたが、彼らの壁となったのが高野連のルールでした。
普通学校ではないろう学校の硬式野球部は、公式戦はおろか、練習試合さえすることができません。そこから様々な運動や多くの協力者も出て、マスコミも報道し、テスト試合を数試合経て、当時は特例として大会出場が認められたようです。
(現在は、ろう学校も高野連に加盟することができます。)
沖縄2年生の時から出来るようになった試合は、練習試合で1勝しただけで、公式戦では勝てず、ほとんどコールド負けのような試合が続いたようですが、皆で野球に取り組めたことはすばらしいと思います。
北城ろう学校は、彼らが中学1年で入学し、高校卒業までの6年間だけ存在した学校で、1984年に廃校となりました。
その後、老朽化していた沖縄ろう学校が移転してきて、校舎やグランドは沖縄ろう学校として使用されていますが、敷地内に北城ろう学校に通った生徒たちの名前が刻まれた記念碑が建てられているそうです。
遠隔手話サポート
最近、遠隔手話サポートを導入している店舗や会社が増えてきています。
携帯電話ショップ、観光案内所、銀行、カード会社、ホテル、駅、空港などのカウンターや総合受付、総合案内所などに、聞こえないお客様がいらっしゃった時、お客様と手話が分からないスタッフの間に入って、テレビ電話で手話通訳を行うサポートです。
役所でもタブレット端末を置いて対応しているところが増えているようです。
自前で専門の手話通訳スタッフをそろえていてその通訳者が対応する会社もあれば、遠隔サポート専門の会社と契約し、そのシステムを導入している会社もあります。
筆談では上手く伝わらなかったり、時間がかかったりしますので、お客様にとっても、カウンター等で対応するスタッフにとっても、メリットは大きいと思います。
ただ、そこで通訳を行っている通訳者にとっては、画面上で聞こえない方の顔とか手話しか見えないわけですから、周りの情報が得られず、現場で対面での通訳と比較すれば、通訳がスムーズにいかないことも出てくるのかもしれません。
そこを理解しておくことは必要だと思います。
デフリンピック②
先日、2017年のデフリンピックで金メダル2個を獲得した山田真樹選手の講演会に参加しました。
山田さんは男子陸上短距離の選手です。
山田選手は200mと400mリレーで金メダルと、400mでも銀メダルを獲得しました。
日本が獲得した金メダルは全部で6個で、山田選手の他は水泳で3個、バレーボールで1個です。
彼は大学生なので今は良いということですが社会人の選手の練習環境などは厳しいようです。
メダル日本でのデフリンピックの注目度は、今はそれほどでもなくてスポンサーも少なく、参加する選手や役員は、費用面で大変苦労をしているようです。
種目によって多少の差はあるようですが、数十万円から百万円くらの自己負担は必要になるということ。
オリンピックやパラリンピックでは、自己負担金など聞いたことがありません。(私が知らないだけであれば、すみません)
ちょっと、上手く言えないというか、上手く書けないかもしれませんが…。
オリンピックについては世界最高レベルの競技を見せてもらうことができます。
パラリンピックの場合は、自然と選手を応援したくなってしまいます。
それでオリンピックやパラリンピックの選手には、スポンサーが付いたり国からの補助金も。
ところがデフリンピックは、見ただけでは障害者に見えない人がやっていて、でもオリンピックのレベルと比較すると…。そういうところが、なかなかスポンサーが増えていかない原因でしょうか。
今、ろう者の間では、2025年のデフリンピックを日本に招致しようとする運動があります。
デフリンピックを広く知ってもらうためには、良いきっかけになるのではないでしょうか。
ただ、同じ年に大阪万博開催が決まったので、そっちに注目が集まってしまうかもしれません。
もしかしたら、招致活動そのものが…。
ろう者自身が運営を行いながら発展してきたデフリンピックは、健常者が介在してくるパラリンピックには馴染めなかったようです。
オリンピックまた、パラリンピック委員会では、手話通訳を介してコミュニケーションを行わなければならないろう者の意見を、あまり聞こうとしなかったとも言われています。
デフリンピック①
デフリンピックという大会があることを皆さんはご存知でしょうか。
聴覚障害者のオリンピックです。
障害者のオリンピックといえば、パラリンピックが有名ですが、それには聴覚障害者は参加していません。
パラリンピックは1960年に第1回大会がローマで開催されました。
その後、国際パラリンピック委員会が正式に発足したのは1989年になります。
パラリンピック一方、国際ろう者スポーツ委員会が運営しているデフリンピックは、1924年から開かれていて、100年近い歴史を持っています。
パラリンピック委員会が発足した時には、一旦はろう者も参加していましたが、6年後には脱退しています。
ろう者自身が運営を行いながら発展してきたデフリンピックは、健常者が介在してくるパラリンピックには馴染めなかったようです。
オリンピックまた、パラリンピック委員会では、手話通訳を介してコミュニケーションを行わなければならないろう者の意見を、あまり聞こうとしなかったとも言われています。